創作について。

自分で1から創作した作品というのは、良くも悪くも素晴らしく見えてしまうものです。
それは恐らく、自分の作品に恋をしてしまっているのだと思います。
これは創作者としては完全なデメリットのように感じます。

恋は盲目?

恋をすると、人はドーパミンとセロトニンが分泌されますが、このセロトニンは人を盲目にさせ、相手の欠点を見えなくしてしまう。
不完全だと認識出来ずに世に出た作品は、後に創作者にとっては修正したい過去になるでしょう。
遠い昔に僕がリリースしたボーカロイド曲の『Sunshine Beach』はその典型だと言えますね。
むしろ、最近までの楽曲に対しても、自分の曲はクオリティが低いなと感じる事があります。

創作者の全てがそうかはわかりませんが、僕に至っては楽曲を公開する行為に対して、特定の誰かから何らかの評価が欲しいわけではありません。
ただ、1再生だけでいい、聞いて欲しい!!

誰かからの批判について。

自分の創作物に対して批判を貰うと、『本当にそうか?』と疑う材料となり、非常に貴重なアドバイスになる事があります。
僕が近年、作曲者として急成長出来たのはこのおかげに他なりません。
その人とはその時に険悪になり結局絶縁してしまいましたが、新米ではあれどプロのサウンドクリエイターの友人からの批判でした。

それが、ちょうど3年前に『Sniping Velocity』をリリースした頃です。
当時は最高の出来だと思っていましたが、今聴くと突っ込みどころが多すぎて何も言えない、とんでもない事をしていたなぁとしみじみ思います。
この時の批判がなければ『俺はこうやりたいんだ』という自己満足を貫いて、今の技術レベルに至るまではまだ5年以上も先だったかもしれません。
批判は、批判対象が過去の遺産になっていない限り、リリースした時点で自身が満足して手放した作品に他ならないため、ひどく辛いものになります。

誰かからの感想について。

僕の場合、良い感想を貰ったとしても、なんと返して良いのか困るし、照れくさくもあり、恥ずかしくなってしまいます。
かっ、感想なんていいですよ!でも、聞いてくれてありがとうございます!という自分がいつもいます。
しかし感想とは、創作者の為を思って出る言葉ではなく、作品を受けた聴き手側が、抑えられない感動をとにかく外へ発散したくて出るものだと思います。
SNS主体の現代ネット社会、感想は自身のタイムライン内ではなく、本人に直接『聴いたよ』『良かったよ』と届けられてしまうものになってしまいました。
それは、本当に感動して出た言葉なのでしょうか?
真相は言った本人にしかわかりませんね。

創作者にとっては、社交辞令の様にも感じてしまう瞬間ですが、それはこの時代がそう錯覚させているのだと思うようにして、素直に良い言葉を喜べるよう努めています。